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上野千鶴子さんに聞く 働く女性たちと月経の歴史。

働く女性と月経の歴史を見ていくと、昔のほうが生理休暇の取得率が高かったという驚きのデータが。これまでの歴史を振り返り、「今後私たちはどう付き合うべきか」を、ジェンダー研究の先駆者・上野千鶴子さんと一緒に考えてみましょう。

上野千鶴子さん

上野千鶴子さん
1948年生まれ。社会学者。東京大学名誉教授。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。女性学、ジェンダー研究のパイオニア。『家父長制と資本制』(岩波書店)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)など著書も多数執筆している。写真©菅野勝男

#今も昔も月経は大変昔は、家族にさえ悟られずに過ごすのが女子のたしなみとされた時代だった。

最近、「生理の貧困」をはじめ、女性の体や健康をめぐる社会的な課題が報じられる機会が増えている。これについて、社会学者の上野千鶴子さんは「とても意義のあることで、ぜひ広く報じ続けてほしい」と語る。

「ただ、みなさんに一つ知っておいてほしいことがあります。このような報道では必ずと言っていいほど『生理』という言葉が使われますが、『生理』は直接的な表現を避けた婉曲表現です。ハッキリ『月経』という言葉を使ってほしいと思っています」

 

月経用品の多様化はもちろん、女性たちの間での月経に対する考え方も、昔と今ではずいぶん変わってきている。

「私が初潮を迎えた頃は、ナプキンすらありませんでした。うちの実家は病院で、家に脱脂綿がたくさんあったので、母がそれをチリ紙とセットにしてナプキンのようなものを作ってくれていたんですが、友人たちがどうしていたのかは全然知らないんです。というのも、当時は友人同士であっても月経については口にしないのが常識だったから。“月経=けがれ”という思想が根底にあったんでしょうね。たとえお腹が痛かったり気分がすぐれないことがあっても、“月経の最中だ”というのを家族にさえ気づかれないように過ごすのが、女子のたしなみとひと昔前はされていました」

月経用品として、江戸時代には、棒の周りに布を巻きつけたものを膣に詰めて対応していたという記録が残っている。戦後は、タンポンが医療用具に指定され、1960年代に入り、ナプキンが登場したが、未婚の女性にはタンポンの使用を控えるように呼び掛けていた時代もあったのだとか。

「当時、学校では、女子学生に対して『タンポンを使うな』という指導が行われていたんです。表向きは、挿入したままにしていると雑菌が繁殖して病気になるからという理由だったようですが、『処女膜が破れるから』というとんでもない理由もあったそうです。今では信じられないようなふざけた話です」

アメリカでは「月経中の女性は判断力が鈍る」との考えから女性大統領に反対する運動が起きたこともあったそう。

「アメリカには大統領執務室に核兵器発射を指示する“核のボタン”と呼ばれるものがあります。女性は月経中だと判断を誤って核戦争を始めてしまうかもという口実が女性大統領反対のネガティブキャンペーンに使われました」

古くから女性たちは、月経にまつわる偏見と戦ってきたのだ。


月経にまつわる日本のあゆみ

  • 1947年┈生理休暇制定
  • 1948年┈タンポンが医療用具に指定
  • 1961年┈ナプキンが発売
  • 1985年┈男女雇用機会均等法
  • 1999年┈女子保護規定撤廃

生理休暇が制定されたのは、戦後わずか2年。1947年に戦後初の内閣として社会党の片山内閣が成立し、労働省(当時)の婦人少年局長に山川菊栄が就任。戦前の劣悪な労働環境を改善すべく労働基準法が制定されたなかで、女子保護規定の一つとして深夜労働や危険有害業務の禁止と並んで、生理休暇の権利が与えられた。1985年には採用や定年などにあたり、性別を理由にした差別の禁止を定めた男女雇用機会均等法が制定。これに伴い、労働基準法の女子保護規定の多くが見直され、1999年には女子保護規定が撤廃。その流れを受けて、生理休暇にも疑問の声が上がるように。


月経を取りまく私たちの今

●災害によって高まったジェンダー意識。

阪神・淡路大震災や東日本大震災、各地の台風被害や水害などで避難所にジェンダーの視点を入れることが要求されるように。支援物資のなかに月経用品を含めることや、月経用の下着を干す場所の確保など、男性には気がつかない要求が表面化した。

●♯NoBagForMeプロジェクトがムーブメントのキッカケに。

生理や生理用品について気兼ねなく話せる世の中の実現を願い、生理用品ブランド『ソフィ』を展開するユニ・チャームが2019年に始動。「紙袋いりません」と言う選択肢を持つことを推進するプロジェクトとして始まり、大きなムーブメントに。

●生理の貧困が社会問題化。

経済的な事情や家族の無理解などにより、生理用品を十分に買えない女性たちが社会問題に。SNSで当事者が声を上げたことで、災害用の備蓄ナプキンを配布するなど、多くの自治体が支援を始めた。しかし、コロナ禍で生活の困窮を訴える女性は日々増えており、問題は深刻化しているのも事実。

●企業の生理に対する取り組みの多様化。

上記で挙げた「#NoBagForMe」プロジェクトの一環として、ユニ・チャームが企業向けに行っている「生理研修」を受ける企業が増加。相互理解を高めるキッカケに。生理休暇を取りやすい環境をつくるため呼び名を変えたり、トイレの個室に生理用品を常設するなど、取り組みは様々。


#生理休暇取りにくい問題月経困難症は病気ですから、堂々と“病休”を取ればいいんです。

日本で生理休暇が制定されたのは1947年。世界的に見てもかなり早い。背景には、戦争で男手が減ったため過酷な労働を強いられ、流産や出産困難に陥る女性が増えたことがあるという。取得率は1960年代をピークに、次第に減少。現在は、7割以上の企業が月経休暇を無給扱いとしていることもあり、取得率は1%以下。

「かつては、月経休暇は女性の権利として認められており、しかも有給とする企業が多かった。ですが、1985年の男女雇用機会均等法の制定に伴い、経営者側から“保護か平等か”の二者択一を迫られ、均等法の成立と引き換えに労働基準法の女子保護規定の多くを手放すことを求められました。しかも、“平等”規定は罰則なしの努力義務のみ。当時女性たちは“絵に描いた平等”と“実質保護”との不当な交換、と見なして反対しました。保護規定撤廃を歓迎したのは一部のエリート女性だけ。多くの女性にとっては労働環境に変化はないのに、残業や深夜勤など労働強化をもたらしただけの結果に終わりました」

女性だけに認められる生理休暇は、配慮か差別か。女性の社会進出が進んだ今、その論争自体がナンセンスだと上野さんは言う。

「まだ日本での月経休暇取得率が高かった頃、アメリカの女性研究者は『なぜ、日本女性は月経休暇を取るのか。アメリカの女性は月経休暇ではなく病気休暇を使う』と話していました。そもそも、月経休暇の取得と引き換えに、月経周期という極めてプライベートなことを上司に把握されなければならないのはおかしいですよね。月経休暇の取得率を上げるよりも、男女問わず体調が悪い時は病休を使って休むことができる社会を目指す。それこそが、真の男女平等ではないかと思うのです」


※『anan』2021年11月10日号より。

生理休暇の取得率推移

  • 1965年┈26.2%
  • 1985年┈9.2%
  • 2003年┈1.6%
  • 2014年┈0.9%

※厚生労働省「平成27年度雇用均等基本調査」の結果概要

1960年代には多くの女性が取得していた生理休暇。1965年には、約4人に1人が取得していた。しかし、女性の社会進出と反比例するように、取得率は激減。ちなみに、労働基準法では、もとは「生理休暇」という名称だったが、1985年の法改正で「生理日の就業が著しく困難な女性に対する措置」に変更。請求があれば、本来は雇用主は休みを取らせなければならないんです。


#これからの私たちにできること女性を一律に扱うのではなく、差異を明確にしていく。声を上げることは決して無駄にはなりません。

月経が重くて辛い時、仕事を休みたいと思っても「月経痛なんてたいしたことじゃない。それぐらいで休むなんて甘えてる」と、職場の女性から思われているのではないかとプレッシャーを感じている人も多いという。

「体のことなのだから、月経時の症状も人それぞれ。もし職場の女性に『月経痛なんてたいしたことない』と言われたら、『それはラッキーでしたね。でも、個人差がありますから』と返せばいい。女性という枠組みで、一律に捉えるのではなく、別々の体を持った個人として、それぞれ差異があることを明確にしていくことが大事。快適に働ける環境は、声を上げ続けることで手に入れられます。行動することは、決して無駄にはなりません」

職場だけでなく、理解を求めるには、身近なところから“教育”することも大切かもしれない。

「10代の娘さんと息子さんがいる知り合いの女性は、月経用品を棚の中などに隠さず、あえてトイレの中の家族のみんなが見える場所に置いているんです。このように、女性には毎月、月経があり、その時体調が悪くなることもある。そのことを当たり前のように家庭内でオープンにできるようになれば、男性側の理解も深まっていくのではないでしょうか」

パートナーに自分の心身の健康や、体のバイオリズムを知ってもらうのは大切なことであり、女性にとって月経はその一つ。

「昨今では、フェムケアの盛り上がりもあり、女性が自分の体に目を向け、声を上げる機会が増えていますよね。これを一時的なムーブメントで終わらせてはもったいない。一人ひとりが自分の体の声を聞き、大切な人に理解を求めることで少しずつ世の中は変わっていくでしょう」